11 6月 2015
第8回 竹垣の内側は子どもの遊び場
みやじまなおみ
「子どもの頃の家で、最初に思い出すものってなに?」
飲み会の席で唐突に聞いてみたところ「竹垣」と答える人が何人かいました。
ふーん、竹垣ね。たしかに、最近の家では見かけないなあと思いつつ、アルバムを開くと、わが家にも敷地を囲むようにして竹垣がありました。おそらく四ツ目垣といわれる、外から家の様子がまる見えのタイプです。両親がこれを選んだのは、目隠しのためというより、家の前が坂道でかなり高低差があったので、子どもが落ちないようにという配慮だったのではないでしょうか。
玄関まわりと庭を仕切る竹垣もあり、こちらは斜め組子のタイプで、小さな木製のポストが鳥の巣箱みたいにちょこんとかかっていました。いかにも昭和チック!記憶しているわけではありませんが、おむつが取れる頃までは、竹垣の内側=庭が子どもたちの自由な遊び場だったと思います。
ただし、庭といっても土が盛ってあるだけ。写真をよく見ると、石ころも混じっています。ここで思いっきり転んだら、かなり痛そう。後ろには洗濯ものが干されていますが、これも洗濯ひもを渡しただけの簡素なもの。今ならアウトドアのテント生活ぐらいでしかこんな光景見ないんじゃないの? という古さを感じます。カウボーイよろしくガンベルトをぶらさげてポーズをとっている兄も、THE昭和の男の子です。
それでも、私がよちよち歩きを始めた頃には、木の杭を地面に直接打ち込んだような物干し台に竹竿がわたされ、石ころも取り除かれて植木も入り、少しずつ庭らしくなっていきました。
夏はゴザを敷いて、子ども用のプールで水遊び。手持ち花火も家族でよくやった覚えがあります。そのうちに砂場ができ、ブランコが置かれ、ゴーカートもやってきて、殺風景な庭がどんどんにぎやかになっていきました。裏庭には鉄棒もあって、ちょっとした公園並みの設備が整っていったのです。
そんなある日、ビックリすることが起こりました。
うちは兄が初孫だったこともあり、双方の祖父母がとにかく兄を甘やかし、せがまれると何でも買い与えていたのですが、あるとき、わが家の庭にトラックで大きなトランポリンが運ばれてきたのです。その結果、テレビでしか見たことのない珍しい遊具に近所の子どもたちが自然と集まってきて、よく知らない子たちまでが「やらせて!」「やらせて!」と、行列をつくることになりました。なぜか私たち兄妹も順番待ち(笑)。
最初のうちこそ、そのままストレートにジャンプする子ばかりでしたが、だんだんとジャンプした空中で大の字になったり、両手と両足を前に突き出してお尻で着地し、次のジャンプで立ち上がったり、トランポリンの上で縄跳びしたりと、いろいろな技を身につけていったのは楽しかったですね。うちの引っ越しが決まったときは「トランポリンで遊べなくなる」と、残念がる子どもたちが大勢いました。
新しく移り住むことになった世田谷の家は、ブロック塀に囲まれた建売住宅で、庭があるといっても猫の額ほど。結局、トランポリンは処分したのでしょうね。
それでも新しい家は近代的でピカピカ、快適。かつて自分たちのいた竹垣の中はひどく田舎っぽい粗末なつくりだったと、子ども心に感じました。でも、竹垣の外に出て初めて、あの楽しかった思い出はもう二度と取り戻せないものなのだと、同時に思い知ったのです。それからしばらく、ホームシックのような状態になったことを覚えています。
みやじま・なおみ miyajima naomi
主婦ライター。有名人・著名人のインタビュー原稿を請負うほか、編集ライターとして40冊近い書籍の執筆に携わる。神奈川県横浜市の一戸建てで、家族5人、昭和40年代を過ごす。