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09 6月 2015

第4回 屠殺場という記憶の継承

 大久保慈
 その昔EU食糧庁をEU圏の国々のどこに建設するかという話が持ち上がったころ、フィンランドは大手を振って立候補した。その際に有力候補でライバルになっていたのはイタリアだ。かの有名な当時の大統領ベルルスコーニ氏はフィンランド料理に関する失言をして大いにフィンランド国民の反発を買ったと記憶している。またフランスのシラク氏までもが「フィンランドの料理はイギリスの次にまずい」などという失言をしたのは有名な話だ。
 フィンランドの冬は長く、暗くて寒い。そんな時期はどうしても新鮮な野菜などをはじめとする食材が不足する。近年では保存や輸送、工場生産技術などが発達してきて、冬でもいろいろな食材が手に入るようになってはいるが、やはり長距離を移動してくる生鮮食品は味が落ちるし高額になりがちだ。とはいえイタリアやフランスの大統領に言われたことは、フィンランド人たちにとって、大いに発奮材料になったのではなかろうか。2000年代の前半はヘルシンキを中心として少し高級なレストランが増え、美食に対する関心が高まり、外食文化が発展した。またフィンランドの国家ブランド、競争力のあるアイデンティティーの見直しと強化などが進められたことも功を奏したのか、この国の豊かな森や湖、清らかな空気とおいしい水といったイメージ、そこで育つ素朴な地元の食材を使ったものが見直されるようになっていった。もともとレストランで出すというよりも家庭料理として定着していたような料理が広くレストランに登場するようになってきたのではないだろうか。
 さて、前置きが長くなったがヘルシンキには行政や政府機関が所有するような大きな空き家というのがいくつかあったのだ。そのうちの一つが前回に紹介した港湾税関の施設であるのだが、今回は屠殺場の話だ。1933年に建設されたこの施設は1992年まで実際に家畜を屠殺して食肉用に捌いていた施設であり、赤レンガの建物群だ。それがヘルシンキ市、この国の新しい食文化を支える若手のシェフたち、昔からの老舗食材店などが一丸となって、ヘルシンキの都市文化と食を融合させた施設へとつくりかえたのは2012年の頃だ。実はこの建物の外観、環境などは歴史的建造物として保存規制がかけられており、大幅な変更などが認められていない。しかしこの建物の建てられた時代をそのままにタイムスリップしたような雰囲気はやはりノスタルジックであり、アキ・カウリスマキの映画のようにどことなくのんびりとしてユーモラスな感じさえしてくる。そして時代を超えて続く、食にまつわる伝統を受け継いでいくのであるから、街の人々の脳裏に浮かぶこの建物、この街角の記憶を継承するということは大切だ。この建物の風情そのものが看板のようなものだ。内部も食品を扱う空間という清潔感を出すためにだけ塗装やインテリアといった最小限のリノベーションで、見事に再生させている。
 実際にこの建物では街の人たちが土を入れた袋一杯分づつの畑を借りていたり、皆でバーベキューやピクニックを楽しんだりと、食にまつわるイベントが数多く開催されている。かつてまずいだのと揶揄された食によってヘルシンキの街の活性化を成し遂げているのだ。

リノベーション・ジャーナルから転載

 

大久保慈 Okubo Megumi
 
建築家

1974年生まれ。1998年明治大学理工学部建築学科卒業。2009年ヘルシンキ工科大学(現アールト大学)建築修士修了。1999〜2012年フィンランド在住にてR-H Laakso、JKMM、K2Sなどの現地事務所勤務の後、2012年から日本に活動拠点を移す。フィンランド建築家組合 (SAFA)正会員。著書に「クリエイティブ・フィンランド-建築・都市・プロダクトのデザイン(学芸出版社)」
http://www.megumiokubo.com