01 5月 2015
第7回 お父さんは床屋さん
みやじまなおみ
東京に引っ越すまで食卓にあった子ども用の背高パイプ椅子。それを兄妹3人順繰りにこれでもかと使い倒し、最後のほうになると脚はサビだらけ、座面も黒ずみ、ところどころ破けたりしていましたが、今となっては懐かしい、兄妹それぞれの思い出がつまった一脚です。
その椅子が月に一度、食事以外に活躍する日がありました。それは「お父さんの床屋さん」が開く日曜日。わが家では、父が時々、床屋さんに変身していたのです。
天気のいい日は庭でやっていたような気もしますが、だいたいはリビングの床に新聞紙を敷きつめて、真ん中にパイプ椅子を置き、兄、私、妹が順番に座り、髪を切ってもらっていました。
ケープの代わりはビニールで。大きなビニール袋の底を丸く切って頭からかぶり、洗濯バサミで留めます。ハサミはちゃんと散髪専用のもの。スキバサミもありました。これで準備は完了。素人とはいえ、父も慣れた手つきでパチン、パチンと切っていきます。私はパッツンのおかっぱ頭、兄と妹はいわゆる坊っちゃん刈りにするのですが、それを「あっちが短い」「こっちが上がりすぎ」と言いながら見ているのがまた面白いのです。
しかし、父の出番はそれで終わりではありません。「床屋さん」の次は「お寿司屋さん」に変身です。
父が得意だったのは、子どもたちが大好きな細巻き。巻き簾の上に海苔を置き、酢飯をちょっと押しつけるようにして広げ、きゅうり、玉子、まぐろ、かんぴょう、おしんこなどの具材をのせ、少しずつ巻きながら、ぎゅっ、ぎゅっと体重をのせてリズムよく巻いていきます。そして、パッと巻き簾を開くと、きれいな海苔巻きが完成! 力が強すぎて、たまに海苔が破裂しているのもご愛嬌。本物のお寿司屋さんのようにビシッと決まると、子どもたちから「わぁ~」っと拍手がわき起こります。
そして、次々とできあがる海苔巻きを母が食べやすい大きさに切ってお皿に盛りつけていくのですが、家族全員が固唾を飲んでお寿司屋さんの手元を見守り、一喜一憂していた日曜日の夜は、当時一番の一家だんらんの思い出かもしれません。
髪がきれいに整い、お寿司をお腹いっぱい食べて、お風呂に入ったあとは、またまた父の出番。最後に変身するのは「耳の掃除屋さん」です。
リビングのソファに片足だけ乗せてあぐらをかき、ひざをポンポンッと叩くと「さあ、始めるぞ」の合図。順番に父のひざに頭をのせ、天井の明りがうまく耳の中に当たるように微調整したら「動くなよ~」と、耳掃除が始まります。昔ながらの竹製の耳かきはけっこう痛いのですが、耳かきの反対側についているタンポポの綿毛のような白い部分をしゅるるっと回転させながら最後の仕上げをすると、不思議といい気分になったのを覚えています。
ほかにも、リビングにはいろんな思い出があります。お年玉をもらうのもここ、成績表を渡すのもここ。兄弟げんかをして怒られるのもここ。ついでに、会社から帰宅した父のお腹めがけて頭突きをくらわせようと、隙を狙っていたのもここでした(笑)。
3つ上の兄とはよくプロレスごっこをしていたのですが、それがエスカレートして本気のケンカになり、そのたびにお尻をいやというほど叩かれ、リビングの掃き出し窓から庭へポイッと出されて窓を閉められてしまうことが何度かありました。
最初は二人とも「なんで外に出されたの?」状態で、とにかく家の中に入れてもらおうと、泣きながら「ごめんなさい、もうしませ~ん!」と許しを請うのですが「何をしないんだ!?」と逆に聞き返され、(そういうことか!)と「ケンカしませ~ん!」と必死で言い直した記憶があります。
泣いて、笑って、うちのリビングはまるで連続ドラマのよう。でも、そんな日々の親子の営みが、人間を育てていくんですよね。
みやじま・なおみ miyajima naomi
主婦ライター。有名人・著名人のインタビュー原稿を請負うほか、編集ライターとして40冊近い書籍の執筆に携わる。神奈川県横浜市の一戸建てで、家族5人、昭和40年代を過ごす。