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04 7月 2013

時代を思う。~トイレ編~ – コラム Adagio

 

 私は、日本のトイレは世界でもトップクラスの水準を誇っていると思います。
 何が素晴らしいと言えば、暖かい便座、ビデにもなるウォシュレット。それも水の温度まで設定出来て、ついでに風まで吹いて乾かしてくれてしまうという至れりつくせりの親切さ。
 世界的に見ても一般家庭の多くにこまでの設備が揃っているトイレは中々ないのではと、日本のこのウォシュレット世代に生まれて良かった、とさえ思うのです。

 海外に旅行すると、よく、トイレの脇に蓋も便座もない便器のような物を見かけて、いったい、これは何だろう…と首を傾げ、(当時は友人達と、足を洗う、お尻を洗う、男性専用などと様々な憶測で楽しませてもらいましたが)、公衆トイレでは便座がなくなっている便器に当たり、便座と蓋だけでも盗まれるものなのか、それともこれはこのままで用を足すものなのか?と謎に頭をひねる事もしばしばでした。 
 一昔前の中国では、トイレは仕切りもなくほぼ丸見えで、流れる溝があるだけだと旅行した友人から聞かされて、暫くは行けそうもない国だと残念がりもいたしました。

 ちなみに私流持論では、「生理用品の進化と広告と、国の女性の地位は比例する」と、「その国のトイレと衛生面の進化はその国の文明の洗練度に比例する」でございます。
 割れ窓理論ではありませんが、汚いトイレはその地域の乱れた風紀が見事に現れています。日本の大手百貨店で汚いトイレはまず見かけません。トイレやそれに付随する洗面所の快適さはある意味で「顔」となり、特に女性達の支持を受けるのです。

昔は日本のトイレも一般市民にとっては特に居心地の良いものではなかったのではないかと思います。
長屋などでは、長屋単位で使うトイレが別棟として造られていましたし、農家などでもトイレは大抵母屋とは別に造られていたようですね。
 以前長野の友人の家に行った時、かなり大きな土間のある農家だったのですが、当たり前のようにトイレがぼっとんで更に外。しかも風情があるというか、そろそろ、これは文化財として保存して、家内に快適トイレを作った方が良いのでは?というギシギシなる隙間だらけの扉にそこだけは辛うじて現在に近づけたような裸電球。
 昼間は興味津々で見ていたものの、就寝時間を前にトイレを拝借した時には、夏場だったこともあり、カエルの鳴き声に恐怖し、裸電球には蛾や他の虫が飛びまわり、何とも落ちつかない貴重な体験をしたおぼえがあります。
同時に、これが真冬でお腹を下して夜中に駆け込んだ日には・・・・と想像すると少なくとも、私には耐えられそうもない事でした。これで膀胱炎になったらもう確実に自室にオマルを持ち込むしかないでしょう。
 商家だとまだ続きになっていることも多いようですが、臭いや溜処として外が便利だったのは理解に難くありません。
家の近くを散歩して時折、元々はトイレだったと思える小屋を見つける度にトイレは大切な場所であるものだと納得する反面、戦国時代にトイレに快適さを求めた武田信玄の偉大さを実感するこの頃。

 利便性・機能性・快適性・実用性
 クロス・収納スペース、本棚、座り具合、落ちつく空間

トイレ、それは必要不可欠な場所というだけではなく、インテリアとしても重要なアイテムがふんだんに活かされる自宅のミニチュアのショールームとなりそうですvv
 そして、過去の文化から得られるものは家に限定しても、お風呂や台所、寝室、居間全てに関心を寄せて歴史をたどった時、見えてくる物はとても大きく、今の暮らしの豊かさを知ることもあれば、いにしえの素晴らしいアイデアに気付くこともしばしばです。