28 4月 2015
第3回 港湾税関建物のリノベーション
大久保慈
ヘルシンキはバルト海に面した小さな港町だ。バルト海に面してかつては航路の要所であった。地図でみると実際に要塞として整備され、現在は世界遺産となっているスオメンリンナ島などの島々に守られるようにして、ヘルシンキの港がある。そこにはマーケット広場があり、市役所があり、首相官邸が並ぶ。華やかな新古典主義の建物が低層で並び、その背後に大聖堂やら元老院教会などといった塔が点在して見える。これがヘルシンキというこの国の首都の玄関であり、その海側からのエレガントなシルエットをヘルシンキの建築家たちは大切に守り抜いてきた。
じつは今回書こうと思っていたのは、このシルエットを作る港湾沿いの建物の事だ。先ほど書いた通り、ヘルシンキの建築家たちというのはこの海沿いの景観を大切にするあまり、対岸のエストニアの首都タリンの港湾沿いの旧市街の景観保存に口を出して嫌がられたこともある。スイスの有名建築家がヘルシンキ港沿いにガラスでできたような超高級ホテルを設計した時にも、結局追い出してしまった。つまりこの地のこの景観は聖域のようなもの。そんな建物群のひとつが旧港湾税関の煉瓦造りの建物だ。ロシア統治時代、1901年の建物だ。建物自体は左右対称のクラッシックなもので、北側は事務所棟、南側が倉庫として使われてきたものだ。じつはこの倉庫棟。見た目は煉瓦造で事務棟と変わらず立派なものだが、暖房設備もなく、ドアはスチールで目張りもないので風が吹き抜ける。本当に倉庫なのだ。この一等地にて保存されているがゆえに、もともとの役目を終えてからというもの10年ほども使い道がなく、空き家になっていたのだ。
私は設計事務所の所員として、行政に対してこの建物の使い道を提案した。地域に不足している施設を調査した。また実際に建てたがっているオーナーがいるが実現されていない施設などの情報を集めてきたのだ。噂を聞きつけた建築歴史家から電話がかかってきたりと、なにやら不穏な動きもあったのだが、結局4案を提案した。しかしながら、心のどこかで少しの不安があったのだ。建物が十分な収益を上げること。保存することも大切なのでなるべくオリジナルに近い形で保存したい。なるべくなら公共性の高い施設として市民に開放したい。港湾地区が保存を目的とした、死んだ動物を並べた博物館のようになってしまっては困るので活性化できるような施設にしたい。などといった要望をすべて満たすような提案ができたのだろうかと考えるといくつかの案は心もとない。
結局採用されたのはヘルシンキのデザイン関係のショールームとイベントのスペースであった。それにはヘルシンキがデザインを地域ブランドの軸のひとつとして掲げていたことも大きい。建物の経年変化を味があるとか美しいと評価してくれるようなクライアントであり、おもに消防法などの法規に順守するべく、私たちは行政との折衝、運用を規定することで建物のそのままの形を残すというような少し例外的な緩和もしていただいた。結局のところは避難階段を追加し、避難経路のサインをつけるまでに留まったのだ。元の建物のスタイル、素材などが100年以上もたってあまりにも格好よく見えたのだ。この建物は2012年のワールド・ザイン・キャピタルの拠点になった。その後の様々なイベントに使われているようである。
建築は、都市の中で活き活きと使われていくことに意義があるのだと思う。そしてなるべくならオリジナルの状態で残された建物は後々にその時代のスタイルを代表し、格好いいとか素敵だというような栄誉を受けるのだと思う。今回、リノベーション記事ではあるが、建物にはほとんど手を付けずにして、建物の用途と街の賑わいとをリノベーションした例である。
リノベーション・ジャーナルから転載
大久保慈 Okubo Megumi
建築家
1974年生まれ。1998年明治大学理工学部建築学科卒業。2009年ヘルシンキ工科大学(現アールト大学)建築修士修了。1999〜2012年フィンランド在住にてR-H Laakso、JKMM、K2Sなどの現地事務所勤務の後、2012年から日本に活動拠点を移す。フィンランド建築家組合 (SAFA)正会員。著書に「クリエイティブ・フィンランド-建築・都市・プロダクトのデザイン(学芸出版社)」
http://www.megumiokubo.com